「ザメンホフの用例に見る エスペラント動詞の意義と用法」
著者:野村 理兵衛
発行:JEI
初版:1997年11月1日
まえがき
ZAMENHOFA EKZEMPLARO(以下ZE)が発行されてから以来かなりの年月が経過しましたが、それに先立つ2年ほど前から私は改訂第二版に備えてワープロでの版下を作り始めました。第一にやったことは、時間的にまたは技術的に追加出来なかった文例の組み入れであり、次ぎにはBiblioのロンドン版から引用した文例の全部についてLUDOVIKITOから出版されたZの原稿との比較訂正する作業でした。これらの仕事に5年ほどを要しました。その後は全巻を読み返すこと数回、よりよいものを残す努力を続けて来ましたが、先般「知っておきたいエスペラント動詞100」が出版されたのを切っ掛けに、少なくとも文の根幹をなす基本動詞については見直すべきではないかという思いに駆られました。
ZEには訳語がありません。それは訳語を与えることはvortaristojの仕事であり、Zの用例を、たとえそれが用例の羅列に過ぎないとしても、一つでもより多く掲げることがZEの使命であるとの認識によるものでした。従って文例は語意や用法によって一応分類はしたものの、その分類は大まかなものだということは否定出来ません。私の果たすべき大切な仕事がまだ残されていることに今更気付きました。
自然語の場合は、先ず、長い歴史の流れの中で形作られた言葉があり、それに基づいて辞書と文法が生れたと考えられますが、人工語であるエスペラントの場合は、この三つのものがFundamento de Esperantoの形で同時に発表されました。人工語にはまず文法と辞書が必要であり、その辞書Universala Vortaroは五ヶ国語の単語からなるものであり、多少は範囲の異なるこれらの単語の意義の妥協点をエスペラントの語義とするっことはZの賢明な選択肢だったとは思いますが、反面この辞書の持つ語義が玉虫色にならざるを得ませんでした。エスペラントの辞書は原則的には五ヶ国語の単語に共通する語義をエスペラントの語義とし、これにザメンホフまたは編集者による補足的な文例を添えるのが通例ですが、私の場合は「初めにZ文例ありき」で、すべての文例を取り入れました。そして、辞書だけに頼らず、これらの文例そのものから語義をくみ取ることを試みることにしました。
Zはエスペラントを「言葉」として熟成させることに生涯を捧げ、膨大な文献を通じてZamenhofa stiloを確立したわけですが、その際語義の範囲については余りとんちゃくしなかったように思われます。それはZ自身「言葉」は辞書から生れるものではなく、辞書は「言葉」から生れるものだということを百も承知していた筈だからです。従ってZの文例にはこの五ヶ国に共通の枠を逸脱してPIV.から(evit)と指摘されるような例も少なくありません。vortaristojがZの文例に批判的であり得るのに対して私の場合はエスペラントが将来国連などの権威ある機関によって国際標準語となるまでは、決して失ってはならない最も重要なunuecoを守るために是非必要な標準語に代わるものは、民族によって自然発生した言葉に代えて、ザメンホフの天才的な脳中に自然発生的に形成されたとも言えるものの中にこれを求めざるを得ないと信じています。
私が辞書からではなく、自然語の場合と同様に「言葉」からそれぞれの語の持つ意義を求めようとするのですから今までの辞典とかみ合わないのは当然です。例えば辞書に五つの語意に分類されている語についてZの文例があるのは三つだけで、残りの二つが欠番になる一方、どの番号にも該当しない文例がたくさんある場合があります。動詞の中で最も基本的で、従って使用頻度の高いものほどその語義や語法が多岐にわたり、語法を無視したような成句、前後の文を見ないと判断出来ない慣用句や転義的な用例などが少なくありません。これら従来の辞書では当てはまらない場合は別の番号を設けて訳文を添えました。
この見直し作業の際に分類番号の分割・統合・追加・削除を余儀なくされた場合が多く、ZEとは必ずしも一致しません。出典は省略しました。本書に掲げた訳語は文例の分類見直しのための手段であり、訳語としては必ずしも当を得たものとは言えないかも知れませんが、それに続く文例と併せ読む時、その語の本当の意味や用法が理解出来ると同時にZamenhofa stilo体得への近道でもあると信じられましたので、出版に踏み切りました。いたらぬ点が多々あると存じますが、この8月に卆寿を迎えた私の高齢に免じてお許しをお願い申し上げます。
1997年10月
野村 理兵衛
凡例
(1) 見出しの語の範囲
本書の見出し語は拙著ZAMENHOFA EKZEMPLAROにある基本動詞750語の全部で派生動詞は含まれない。
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